★ 狭間に揺らぐ声 ★
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
管理番号156-4733 オファー日2008-09-15(月) 22:05
オファーPC セバスチャン・スワンボート(cbdt8253) ムービースター 男 30歳 ひよっこ歴史学者
ゲストPC1 朝霞 須美(cnaf4048) ムービーファン 女 17歳 学生
ゲストPC2 ベル(ctfn3642) ムービースター 男 13歳 キメラの魔女狩り
<ノベル>

 ゆらゆらと揺れる。
 ゆらゆらと、それは探し求め、彷徨い続ける……



 月の隠れる深夜、午前0時、静寂に支配された校庭にズタズタに帆布を裂かれた『幽霊船』がゆらゆらと不安定に揺らぎながら出現するという――

 朝霞須美の学校でそんな噂が囁かれるようになって、早くも一週間が過ぎようとしていた。
 真夜中の幽霊船。
 海賊船やピラミッドが出現するような今の銀幕市では、さほどめずらしいものではないのかもしれない。
 少し前にもロケーションエリアやムービーハザードに巻き込まれ、思わぬ体験をした者たちの記事を目にしていた。
 だとすれば、この幽霊船もきっと何かのハザードだ。
 あるいは、そのものずばりの実体化。
 しかし、例えばソレが海岸線であるとか、あるいは大型ハザードに見舞われやすい自然公園だったなら、これほど生徒たちがさざめくこともなかっただろう。
 ではなぜか。
 理由は、この学校の校庭と言うシチュエーション、その一点において特異性を醸し出しているのだ。
 そこにはたして意味はあるのかどうか。
「あ、ごきげんよう、須美さん」
「ごきげんよう」
 須美は、くすくすと囁きあう級友たちの間を会釈して通り抜ける。
 そうして、鞄とともにヴァイオリンケースを大切に抱きながら、教室から廊下、廊下から校門、そして通い慣れた音楽教室に向かう間中、思考をめぐらせていた。
 はたして〈午前0時の幽霊船〉には一体どんな物語が与えられているのだろう。
 何故、午前0時なのだろう。
 何故、幽霊船になったのだろう。
 何故――
 気づけば須美は、ひとり、湧き上がる無数の〈可能性〉について検討しはじめていた。
 ミステリファンは、ロジックを求める。
 どんな出来事にも、原因と結果と因果律と整合性を求めてしまう。
 物語の帰着はどこにあるのだろう。



「朝霞、冒険だ」
「幽霊船が出るって聞いた。行こう」
 レッスンを終えて帰宅した須美を出迎えたのは、にこやかな母ではなく、期待と好奇心に満ちたふたりだった。
「え」
 あまりにも驚きすぎて、心の準備のできていなかった須美は、不覚にも玄関で一瞬かたまった。
 出迎えたのは、ベル、そしてここにいるはずのないセバスチャン・スワンボートだった。
 ベルは今須美の家にいる、だから彼が出迎えてくれることはあり得る。けれどセバスチャンは最近古本屋の手伝いでしばしばそこに詰めているはずだ。
 だから当然、ふたり揃って玄関で待ち伏せされるとは思ってもみないことだ。
 話の前後もなければ脈絡もない、本当に不意打ちで仕掛けられた唐突な誘いだった。
「ママさんに須美と一緒に幽霊船を探険してくるって言ったら、“いいよ”って」
「俺が保護者だ。というわけで探索しよう、幽霊船が須美の学校に出るなんて知らなかったぞ?」
「一緒にいこう、須美」
 もう、どこからどう言えばいいのか分からない。
 本当に本当に驚いて、たたみかけるふたりの台詞をひたすら聞く側に回ってしまう。
 それでも子供のようなセバスチャンとベルからの期待に満ちた誘いを、須美は結局断りきれないのだ。
「……いいわ。ヴァイオリンを置いて着替えてくるから、少し待っていて」
 軽く溜息をついて、苦笑を洩らす。
「よし、すぐだぞ、朝霞!」
「須美、待ってるから」
 はいはい、と言いながら、それでも2階に上がる階段の途中で須美は肩越しに彼らを振り返り、告げる。
「ひとつだけ言わせて」
「なんだ?」
「なに?」
 階下で「やったな」とばかりにハイタッチしていたふたりの声がキレイに重なった。
 ベルは無表情のまま、セバスチャンはキョトンとした顔で、揃って須美を見上げてくる。
「幽霊船が出るのは午前0時よ。今夜は冷えるわ。いまから寒空の下で4時間頑張るつもりかしら?」
 須美の言葉は、セバスチャンとベルには思いの他大きな衝撃だったらしい。
 まるで兄弟のようにそっくり同じ動作で互いに顔を見合わせ、そして可及的速やかに、幽霊船探索を3時間半ほど延期する決議を出した。



 ゆらゆらと、揺れる。
 ゆらゆら、ゆらゆらと、漂い、彷徨い、探し求める。
 深く昏い嘆きを呟きながら。
 それでもたったひとり、望みを抱いて彷徨い歩く。



 午前0時のカウントダウン。
 雲が多く、鮮やかな光を放つはずの満月も、いまはすっかり姿を隠してしまっている。
 ベルははじめて須美の通う学校内に足を踏み入れた。
 校舎を背景に、広がる校庭。
 好奇心が疼くのは、ここが昼間見るモノとはまるで違う雰囲気を醸し出しているからか、それとも須美とセバスチャンとの冒険が待っているからなのか。
「噂が本当なら、ちょうど鐘が鳴り終わった頃に出現するらしいわ」
 須美の声を聞きながら、ベルはじっと自分たち以外には誰もいない閑散とした校庭を見つめる。
 校舎から鐘の音が響く。
 1回、2回、3回、4回、……、…………
「……12回、だ」
「きた!」
 ぐにゃり。
 自分たちの立つ場所が大きく揺らぐの感じた。
 ソレは時空の、あるいは次元の、もしかするともっと別の何かが、大きく歪んだ証拠。
「あ」
 一瞬だった。
 瞬き一回分のうちに、ソレは姿を現し、そして3人を飲み込んだ。
 景色が変わる。
 視界が変わる。
「船の中に、来たのね……」
 須美から呟きがこぼれる。
 ずたずたに引き裂かれた帆布、朽ちた船先、足元には大小さまざまな無数の穴が開き、見上げた先ではマストも数本折れている。
 視線が釘付けになってしまうほどに、不安定でありながらも圧倒的な存在感を誇るもの。
 ゆらゆらとした水面の揺らめきを足元に感じながら、3人は、濃い霧が這い回り自分たちの他には何の気配も感じられない朽ちた甲板に佇んでいた。
「よし、探索開始だ」
 言葉をなくしていたベルと須美の背を、セバスチャンのどこか好奇心に弾む声と大きな手が軽く押しだした。
 ソレが合図だ。
 ざわざわと肌を粟立たせるような、まさしくホラー映画のような雰囲気のなか、まずは船内へと降りられそうな階段を見つけるところからはじめる。
 一歩踏み出すたびに、ギシリと不吉な音がする。
 ちらりとベルは視線を周囲に滑らせる。
 いまにも床板を踏み抜きそうだと感じているのか、セバスチャンが妙に緊張しているのがおかしかった。
「どうやらここから下に降りられるわ。鍵もかかってないみたいね」
 おそるおそるといった態の彼をつついてみようかと悩んでいる間に、須美が船内に下りる扉を発見していた。
 手招きされるまま、ベルはすたすたと彼女を追いかける。
 その後ろから、ほんの少しだけ早足でセバスチャンが追いかけてくる気配を背中に感じながら。



 ギシギシと床や壁が軋んだ音を立て続ける。
 嵐がきたらきっとあっという間もなく難破するだろう、そう確信させるようなひどい有様だ。
「海賊船というわけじゃなさそうね」
「いわゆる豪華客船ってヤツでもなさそうだけど……」
「“豪華客船”って言うのならこの間須美と一緒にテレビで見たよ。キラキラした船で殺人事件が起こるんだよね?」
「……まあ、あながち間違いじゃないが、だいぶ偏ってると思うぞ」
「豪華客船を舞台にした海上ミステリは、クローズドサークルものとして視覚的にわりと華やかな部類だと思うわ」
「テレビでいっぱい見た」
「ロマンなのかもしれんが……お、ここは食堂か」
 セバスチャンが扉のひとつを開けるなり、うれしげに声を弾ませた。
「まるで、日常が突然途切れてしまったみたい。それまでいた人達が一瞬で消えてしまった、みたいな」
 須美はこういった光景にはすでに何度か、映画やテレビ番組、あるいは小説の世界で出会っている。
 忽然と姿を消した住民たち。
 その謎の裏側に潜むモノすべてが、はたして現実的な解決をのぞめるものなのかは不明だが推理を展開していくのは楽しかった。
「食べ物が盛られたままだね……なんかすごいカビたりミイラ化したりしてるけど……」
 ベルの触れたフルーツ皿のリンゴが、カサリと音を立てて崩れ落ちる。一滴の水分も残っていない、脆い砂のカタマリにも等しい感触だ。
「意外にサクサクしてる……」
「何してんだベル、腹壊すぞ、腹!」
「ベル!?」
 好奇心ならば、須美やセバスチャンと同じくらいベル自身もおおいに持ち合わせている。例えその表情には表れなくとも、だ。
「……べつに腹なんか壊れないと思うけど……」
 たぶんきっとそんなふうには自分の体はできていない。
「それでもだめよ」
「なんかちゃんとした美味いモンを探すべきだろ、ここは」
 そういってセバスチャンが歩きだす。
 だが、厨房らしき場所に続く奥の部屋へ踏み込んで行ったとたん、
「――うわひゃぁっ!?」
 どう表現していいのか迷うような奇妙な声を上げた。
 ベルは須美と顔を見合わせ、そして中途半端な悲鳴が聞こえた場所に急ぐ。
「セバンさん?」
「どうしたの、セバン?」
 薄暗い部屋を除き込んだふたりは、そのまま息を止めた。
 セバスチャンの背中越しに見たもの。
 ボンヤリと佇んでいるソレは、腐りかけた肉が削げ落ちボロ雑巾のような衣服をまとった男だった。
 その眼窩には収まるべき目玉はなく、ただぽっかりとした深淵が覗いている。
『……目はどこだ……俺の目……目がない、目が……目が……どこにあるんだ?』
「どこって言われても、……俺は知らん」
 ちょっと腰が引けながらも、セバスチャンはきっぱりと答える。
 ゆらゆらと頼りなげに揺れていた幽霊は、一瞬動きを止め、そして、
『ならばオマエの目をよこせ――っ』
 ぐわり。
 突如体をふくらませ、おぞましい鬼気迫る表情で襲いかかってきた。
「――っ!?」
「いいよ」
 いつの間に来ていたのか。思わず固まったセバスチャンの前に立ち、ベルが迫りくる幽霊に平然と答えてみせる。

 まるで何か書くものを貸してくれと言われて心よくボールペンを差し出すように、自分の右目を抉り出そうと指をまぶたに掛けて――
「ま、待て待て、早まるな!」
「ベル、やめて」
 なんてことするんだと慌てふためくセバスチャンに後ろから腕を取り押さえられ、須美に真剣な声でしかられた。
 理由が分からない。
「なにしてんだ」
「……目がほしいって言うから、あげようかと思ったんだけど」
「そんなほいほい、他人にあげるんじゃありません」
 なんだか母親みたいな言い方でセバスチャンがたしなめてくる。
「なんで?」
「痛いだろ?」
「別に痛くないよ?」
『目をよこせ、よこせ、よこせよこせよこせ――――っ』
「ほら、よこせって言ってるし。須美やセバンがあげたらあとで困るでしょ? だから僕のにしようかなって」
 目がひとつなくなっても、ベルはたいして困らない。
 少なくとも自分はそう思っている。
 だが、ふたりにとってはそうではなかったらしい。真剣な顔で言い聞かせるように、お願いするように、言葉を繰り返す。
「そんな気のつかい方はしないでよろしい」
「ベルの目が好きだから、そんなことしてほしくないのよ」
 いまいち何故怒られているのか、何故止められたのか分からず首を傾げてしまうベルに対し、須美はそっと微笑みかけた。
 そして、
「あなたの目を探せばいいのね」
 毅然とした表情で幽霊と対峙する。
「そこで待っていて。探してくるわ、あなたのその両目」
「だからカンベンしてくれないか、ベルの、……その、コイツの目はコイツのもんだから」
 須美の台詞に重ねて、セバスチャンも珍しく真剣な顔で告げる。
「……僕は別に構わないけど」
「ベルが構わなくても私たちが構うのよ」
「そういうことだ」
 幽霊はボンヤリと佇んでいる。
 何かを思案するように、沈黙し、そしてカタリと首を傾げて、ゆらゆらとベル達に背を向けて歩きはじめた。
 彼は彼で、自分の眼球をまた探し始めたのだろうか。
 その背中はひどく頼りなげで、そして物憂げだった。
「ソレじゃ、幽霊船探険改め、幽霊の目玉探索開始だな」
 思わず視線で追いかけていた須美とベルを促がして、セバスチャンは厨房から食堂を経て、再び廊下に出た。


 壁に取り付けられたランプの中でオレンジ色の炎が揺れる。
 相変わらず船内には、肌をざわつかせるようなギシギシと軋んだ音が響いていた。
 間を置いて連なる扉のひとつひとつが、どこかしら何かの秘密をはらんでいるような気がしてならない。
「でも、一体どこにあるのかしら……」
 間もなくこの船階の探索が終わるというその時、ふと視線をめぐらせた須美の表情が、瞬間、こわばった。
 何かを引き摺った後のようなどす黒いシミが、壁から床にかけてベッタリと張り付いていた。
 ――血痕。
 その単語が真っ先に須美の脳裏に浮かんだ。
 ミステリの読みすぎだろうか。
 すぐに因果関係を求めてしまうし、発想が常に何らかの犯罪、もしくは事件へと飛躍する。
「……でも、そうとしか思えない」
 思わず洩れた呟きに、ふたりから不思議そうな問いが投げかけられる。
「朝霞? どうした?」
「何か見つけたの?」
 須美は無言のまま『血痕』を指差し、そして、彼らの視線を階段の上へと導いた。
 扉にはプレートが掲げられている。不自然に黒く汚れてはいるものの、そこに綴られた文字を読み取ることはできる。
「船長室か……」
「ねえ、須美、開けてみるよね?」
 ふたりの言葉に促がされるようにして、須美は扉に手を掛けた。
 ぎしり。
 歪んだ音、重い手ごたえ、そして開いた途端、錆びた鉄のニオイと積もり続けたホコリがぶわっと押し寄せてきた。
 それでも、その部屋を見渡すことはたやすい。
 明かりが灯っている。
 天井から下がるランプがゆらゆらと揺れ、机の上に置かれたランプも同じように不安定に揺れている。このふたつの揺れる光は、それでも十分な光量で室内を照らしていた。
 須美に続くようにして、セバスチャンとベルもまた部屋に足を踏み入れる。
 中に入れば一段と濃厚な赤錆びた血の匂いが、こちらの嗅覚を刺激する。
「なんかある」
 最初にそれに気づいたのはベルだ。
 トトト……っと歩み寄り、改めてそれを覗き込む。
「航海日誌ね」
 すでに黄ばんでところどころやぶけた航海日誌が一冊、まるで誰かの訪問を待っていたかのように机に置き去りにされていた。
 つけペンの刺さったインク壺が倒れていたが、中のインクはすでに乾いて固まっている。
 須美はそっと日誌に手を伸ばした。
 古くさく汚れたページの所々に記された文字は、その日の天候や船員たちの体調、航路の状況といった情報を克明に語っている。
 追いかけるだけで、その瞬間、その船に何が起き、どう対処していたのかが窺えた。
「須美、なんて書いてるの?」
「……船が沈んだみたい……嵐ね、おそらく」
「でも、それでなんであいつの目玉がなくなるのかが分からんが」
「でもあの壁に残っていた血痕から考えて、何かが起きたことはたしかなんだけど」
「事件?」
「便乗したものなのか、それともただの事故なのかは分からないわ、今のところ」
「ちょっと見せてくれ」
 セバスチャンが須美の横から日誌へと手を伸ばす。
 さもそこに記録された文章を読むようなそぶりでありながら、その実、文字以上が語る〈視るべきモノ〉を〈視る〉ために。
 紙面に指先が触れた。
 途端。
 二重写しの世界――〈現在〉の中に、〈過去〉の映像が重なり、そして〈過ぎ去りし時〉はセバスチャンの前でだけ巻き戻される。

 影だ。
 影は慌てふためいている。
 揺れる船内、音にならない声で叫びあう者たち、慌しく、行き交う姿。
 
「あ」
 ばらばらばら――
 まるで風に煽られたかのように、あるいはセバスチャンの指先に誘われるように、須美の手の中で、航海日誌は勝手にページを繰りていく。
「……血?」
 ベルは首を傾げながら、彼女の手の中の日誌を眺める。
「どんどんページが書き変えられていくみたい」
「なんか、すごく変だね。自動書記みたいだけど……」
「不吉だな、おい」
 黒インクの繊細な文字が、次第にどろりと粘りを含んだ赤黒い色に変わっていく。
 次々と、白紙のページ全面を使って、流れる血によって綴られていく、それは恐怖の記録であり、記憶だ。

『 嵐が来た。
  神の怒りに触れたのだと誰かが言った。
  やはり財宝などに手を出すべきではなかったのか。
  あちこちから声が聞こえる。
  仲間たちの呻き声。
  ぐずぐずと膿んでいく体。
  沈んでいく。
  揺れる。  揺れる。   揺れ     ――コロサレル  』

 自分は殺された、目を奪われた、分からない、けれど確かに仲間の誰かにこの目を奪われ、大切な仲間を奪われ、命も船もありとあらゆるモノを奪われ、船とともに沈められたと。
 コロサレル。
「これは、犯行記録、ね……」
 滴るような赤黒さで、インクの文字は語る。
 嵐の記憶、その夜の恐るべきうねり、唸り、悲鳴、恐慌、そして、凶行。
 彼は仲間の死体を見た。
 食堂へ続く扉の前で、共同洗面所の前で、甲板へと続く階段の前で、顔面を血まみれにして転がる大切な仲間の姿を彼は見てしまった。
「……アレはやっぱり血痕で合っていたみたいね」
「顔ばっかり狙われてるんだね」
「理由は分からない、動機も。だけど〈目的〉なら想像出来るわ……たぶん、だけど」
「目的ってアレか? あの」
 言い掛けたセバスチャンは、そのまま言葉を詰まらせる。
「今度はセバンがどうかしたの?」
 ふと顔を上げたベルが、固まったセバスチャンへ不思議そうに問いかける。
 セバスチャンの視界の中で、ゆらりと影が揺れた。
 ベルにも須美にも見えていないらしい。
 だが、セバスチャンの〈視界〉の中では、血肉をもったひとりの男としての姿を取っていた。
 船長らしき制服に身を包んだその男は、苦しげに、無念そうに、血の涙を流しながら、途切れたページにペンを突き立てていた。
 そして。
 男がこちらを見た。
 セバスチャンとまともに目が合った。
 いや、合うはずがない、その男の眼窩もまた、ぽっかりと空洞になっていたのだから。
 男は口を開けた。
 赤黒い血で染まったその口で、彼は、なにかを、訴えようと――していながら、ソレは突然の揺れで遮られる。
 船が揺らいだのだ。
 大きく大きく揺れて、不意を突かれた須美とベルがバランスを崩す。
 バランスを崩したふたりを抱き止め切れずに、セバスチャンはふたりを抱えながらも派手に背中から船室の壁にぶつかった。
「い――っ」
 ずるずると、壁に背を預けたまま、そしてふたりを抱えたまま、床に座り込んでしまった。
「セバンさん!?」
「セバン、大丈夫?」
「…………大丈夫、と言わせてくれ……痛いけど……」
 ほんの少し情けない声を出しながら、それでもセバスチャンは笑った。
 ぐらぐらと揺れ続ける中で、最初になんとか立ち上がったのは須美だ。彼女の顔が赤くなっていることに気づいたものはいない。
 続いてベル、そして最後にベルに手を貸してもらいながらセバスチャンが立ち上がったところで、異変は起きた。
「あ、水が入ってきた」
「え」
 みしりと、ひときわ大きく軋んだ音が頭上と床下で鳴った。
 不吉な、めりめりと何かが裂ける音もする。
 この船は嵐の中にある、だとしたら、いまこの船に起きている現象も容易に想像出来た。
「ちょ、あれか、これって実は沈没船なのかっ!?」
 いままさに、船は沈もうとしているのだ。
 船体には大きな穴があちこちに開いている。そこから水が入り込んできているのだ。荒れ狂う漆黒の海に、いままさに、この場所は飲み込まれようとしている。
 ごぉおぉぉ……ん――っ
 重い何かが倒れ、どこかに打ち付けられた音が船全体を震わせた。
「とにかく場所を移そう! 甲板に出るぞ」
 ますます水位を上げるなか、セバスチャンはその大きな手で須美とベルの手を握り、何とか扉を開けようと試みる。
 だが、一度閉じた扉は水圧によってか、まるで開く気配すら見せない。どれほどセバスチャンが体当たりしても、びくともしなかった。
「あのさ、開かないなら壊せばいいんじゃないかな?」
「は?」
 ベルは両腕を広げ、扉の両脇にみしりとその10本の指を食い込ませた。食い込ませることができてしまった。
 べきり、みしっ、…………べきぃっ!
「はい、開いたよ」
 相変わらずの無表情のまま、壁から引き剥がした扉をまるでポスターか何かのように軽々と打ち捨てて、驚くふたりを振り返り、促がす。
「何してるの、目玉探しと脱出、どっちもするんでしょ? いこう?」
「そうね」
「……年長者としての立つ瀬がないぞ、俺は」
 思わずどこかずれた答えを返し、そうしてふたりはベルと手を繋いで船長室から廊下へと進み出た。
 水は至る所から注ぎ込まれる。
 おそらくどこかに穴が開いた、いや、元からこの船はボロボロで、あらゆる所に穴が開いていたのだから、今更浸水に驚くこともないのかもしれない。
 足首の高さまで上がってきた水は、揺れとともに流れを作る。
 その中を、3人はここまで降りてきた時に使った階段を目指して走り続けた。
 セバスチャンの古コートの裾も、須美の靴も、ベルのふっかりとした尻尾も、塩辛い水に浸食されていく。
「目玉のない幽霊が二人も出てきたんだ。この船、絶対おかしいだろ?」
「ふたり? ふたりってどういうことかしら?」
「船長室にもいたんだ、目のない幽霊がな」
「……それじゃあ、目がないのは誰かの仕業ってことかな?」
「意図がないはずがないのよね……それが、財宝の呪いなのかどうかは別にして」
 これはムービーハザード。
 これは、元は〈映画〉だ。
 なれば筋書きが存在するのだ。
 なにものかの意思の介在とともに。
「見つからなかったはずの手掛かりをもう一度探すべきね」
「どこかに何かがあるぞ」
 セバスチャンの目が、ついっと動く。
「あ」
 先頭を走っていたベルの足が止まった。
 はらり。
 日誌と同じ紙質のものが一枚、どことも知れない場所から落ちてきた。
 ごうごうと音を立てながら水が流れ込み、それまで見えていた船を染める赤黒い痕跡すらも洗い流そうとする中で、その紙片を拾い上げたのは須美だった。
 だが水に滲んだ文字を解読するより先に、そこへ重ねるように、セバスチャンが手を伸ばす。
 どこか真剣身を帯びた険しい表情で、じっと、日誌の切れ端を凝視していた。
「セバンさん……?」
 一瞬の、沈黙。
 耳鳴りのような水音を背景に、セバスチャンはおもむろに顔を上げ、目の前にある扉を見つめた。
 船の見取り図があったわけではない、けれど偶然か、それとも必然か、須美たちはそこに辿り付いていた。
「……副船長室……ここに、ある……ここに犯人は〈探しもの〉を隠している」
 水は増え続ける。
 ミシミシと船は軋み、揺れ続ける。
 脱出しなければ、命の危険もあるかもしれない。
 だが、3人はその部屋にはいることを選んだ。誰に促がされるでもなく、3人はほぼ同時にそう決めて、そして、扉に手を掛けた。

 ――揺れる、揺らぐ、揺らいで……

「ここだけ、何か不自然ね……」
 この部屋にだけ、歪な血の滴りがうかがえた。
 他の部屋や廊下に見られるような流れあふれた血溜まりの跡ではない、転々と、まるで何かを運んで落下した時のようにポツポツと、血痕が散っている。
 ソレは何かの証。
 ソレは、不吉な、ひとつの証。
 セバスチャンの目が、須美の思考が、副船長室の異変を紐解こうとしている。
「……」
 ベルの目は、ひとつの違和感を見つけ出していた。
 書棚に納められた、ひとつだけ色の違う本。
 手を伸ばす。
 ソレは勘、ソレは好奇心、ソレはこの銀幕市で培われた純粋な冒険心であり、行動力だ。
 カチリ。
 指を掛け、引き出そうとした、その瞬間、どこかで何かのスイッチの入った音が伝わる。
 ゴトリ。
「隠し部屋ね……」
「朝霞、豪華客船には隠し部屋がつきものなのか?」
「船につきものかどうかは分からないけれど、海賊や冒険ものではよく見る仕掛けではあるかもしれないわ」
「俺の経験では、この手の部屋に隠されてるものって大抵碌なもんじゃないんだが」
「……そうね、そうかもしれない」
 扉が完全に開いた。
 中は暗い。暗く淀んで、何か不吉なニオイに満ちていた。
 この闇色が占める部屋で、誰よりも早く正確に、そこに展開されている光景を理解したのはベルだ。
 猫獣人の瞳は、わずかな光であらゆるカタチを認識する。
「……うん……セバンのいうとおりだね……」
 ベルの表情は変わらない。
 どれほど大きく内面が揺らいでも、どれほど心が軋んでも、それが表情として浮かぶことはない。
 けれどこぼれた声は驚きと、そして痛みを含んでいた。
 ベルの視線の先にあるもの。
 そこには、透明な瓶がいくつもいくつもいくつも並んでいる。
 生々しい、刳り抜かれた目玉の入った無数の瓶が、コレクションのように、あるいは奇妙なオモチャのように並べられている。
 できることなら、須美には見せたくない。
 とっさにそう思ってしまうほどに、吐き気を覚える、おぞましい光景だ。
「……須美、見ない方がいいよ。セバンも、きっと腰を抜かすかも」
「……別に俺は腰を抜かしたりはしないが……でも、そうだな……朝霞は見ない方がいい……」
 ベルの隣にセバスチャンが立つ。
 隠し部屋の入り口は、ふたりの男によって須美の視界から遮断された。
「どういうこと?」
 ふたりの行動を不満に思ったわけではなく、ただ須美は問う。しかし、どこかで返ってくる答えの予測はついていた。
「ねえ、須美」
「無数の目玉の悪夢なんか、見たくないだろ?」
 須美は、それ以上何かを問い掛けたりはしなかった。
 そして。
 いつのまにか、目の前には男が立っていた。
 目をよこせと食堂で迫ってきた、あの男がゆらゆらとベルとセバスチャンの間に佇んでいる。
 彼が何を欲しているのかは分かる。
 ソレはもう、明らかに。
 動いたのはベルだった。
 薄闇の中に踏み出して、ガラスの瓶をひとつ探り当てる。
 まるで初めから分かっていたかのように、迷いなくひとつを選び、そして、ガラスの瓶を手の中で握り潰した。
 がしゃん。
「ほら、これ、探していたアンタの目玉だよ」
 瓶が割れ、ベルの手の中に転がるソレは、差し出された幽霊の手の中に落ちる。
 彼は無言のまま、手の中に転がる両の目をしばらくじっと眺め。
 そして、おもむろに空洞となっていた眼窩にそれらを嵌め込んだ。
 一体どれだけの時間、彼はこれを探し求めていたのだろう。
 安堵のような溜息が、こぼれた。

 ――アリガトウ

 一瞬。
 本当に一瞬だけ、幽霊は本来の姿を取り戻す。
 誰かに似た、誰かの姿。
 優しげな青年の、穏やかな笑みが3人に向けられた。
 だがソレに何か言葉を返すより先に、またしても大きく船が揺らいだ。
 今度は船だけではない。
「朝霞!」
「須美、手を伸ばして、早く!」
 ここを訪れた時と同様の、世界がゆがむような奇妙な感覚に3人は包まれる。



 揺れる、揺らぐ、ゆらゆら揺れて、私は願う、いつまでもいつまでもいつまでも、いつか帰りを待つ者たちのもとへ、この身が帰ることを……



 鐘が鳴る。
 月が、雲の切れ間から顔を覗かせていた。
「あ、戻ってきた」
 まだどこか妙な浮遊感を残しながら、ベルが最初に声をあげた。
 そこは校庭。須美にとっては見慣れた、ベルとセバスチャンにとっては新鮮な、夜の校庭だ。
 水にあふれた船はない。悲劇にまみれた船はない。目を探し求める幽霊の姿も、もうなにもない。
 ここは、〈現実〉――
「結局幽霊船で財宝探しはできなかったな」
 おどけたように、小さくセバスチャンが笑った。
 期待していた冒険は、もう少し別の系統だったのだが。
「でも、どうしてあんなことしたんだろうな……」
 セバスチャンの網膜には、ひとつの光景が焼きついていた。
 それは鮮赤の記憶だ。
 副船長のネームプレートをつけた男が、ナイフを翳し、嵐で沈没しかかった船の中で次々と仲間を殺し、その目を抉り取っていく光景。
 それだけならば、気狂いの快楽殺人だと思ったかもしれない。
 だが、そうとは思えなかった。次々と殺していく、その〈犯人〉の表情は、けして愉悦に満ちたものではなかった。
「……目がほしかったからじゃないの?」
 ベルはほんの少し首を傾げ、そしてあっさり言う。
「目が欲しかったのは確かね……でも、動機は、たぶん、そこじゃない……」
 対して須美は、ほんの少しだけ俯き、何かを思いだすように視線を伏せて呟く。
「聞いたことがあるの……。瞳にはあらゆる記憶が宿るんですって。そのヒトのすべてが宿るのなら、そのヒトそのものといえるかもしれないと……それに」
 航海日誌。
 血色のインク。
 次々と殺されていく仲間達の記憶。
 あの時拾いあげた航海日誌の切れ端に走り書きされていた言葉は、嵐と、殺人と、そして疫病の文字だった。
 一夜のうちに村人が死に絶える、そのシチュエーションの多くは、殺人か、あるいは〈疫病〉といった種明かしが用意されている。
 だから。
 遅かれ早かれ、彼らは皆、死んでいたのかもしれない。
 だから嵐の夜、〈彼〉はせめて仲間達の目だけでも、病から守ろうとしたのかもしれない。
「……全部、想像でしかないけど……」
 本当は、本当の真相は、ただの快楽殺人だったかもしれない。
 自分の目を探し求めた幽霊のあの苦しげな様子を見れば、セバスチャンが見たという船長の血まみれの悲鳴を思えば、別の解答の方がしっくり来るような気もする。
 だが、それでも。
 これもまた、ひとつの解答だ。
 3人はしばし無言で佇む。
 時計塔の鐘はとっくに鳴り終わっていた。
「朝霞、送っていこう」
 セバスチャンはちらりと須美とベルへ視線を向ける。
 一応年長者としての自覚がないこともない身としては、誘った手前、最後まで、と言う思いもある。
 ところがそんな『責任感』的なこちらの想いを知ってかしらずか、須美はあっさりと申し出を断った。
「ベルがいるから平気よ」
「セバンじゃ頼りにならないってさ」
「お、なんだ、傷つくぞ、ざっくりきたぞ! いじめ反対、仲間ハズレ反対!」
「はいはい」
 抗議の声をあげるセバスチャンに背を向けクスクスと、須美とベルは笑いあい、そして冷たい銀の月の光が差し込む午前0時15分、3人はなにもない深夜の学校を後にした――




「ねえ、そう言えば幽霊船、最近見ないんですって」
「場所を変えてしまったのかしら?」
「残念ね……一度見てみたかったのに」
 心地良い風に揺れる午後。
 須美は級友たちのおしゃべりでさざめく教室で、ひとり静かに本を読む。
 冴木書房で購入したばかりの、一度は絶版の憂き目を見たミステリであり、国内における三大奇書として名高い作品を。
 その傍らには、別にもう一冊。
 誰が書いたとも知れない日誌らしきものが置かれていた。

 耳を澄ませば、時計塔の鐘の音が近くて遠い場所から静かに時を告げている。
 



END

クリエイターコメントはじめまして、あるいはいつもお世話になっております。
この度は仲良しさんなお三方の幽霊船冒険譚にご指名くださり、誠に有難うございます。
捏造OKのお言葉を受け、コミカルでダークなテイストでお送りいたしました。
完全には解体されない謎もまた趣があるのではと思い、ミステリ部分に関してはあのようなカタチとさせて頂きました。
はたしてイメージにそうものとなっておりますでしょうか?
めいっぱいお待たせした分も含めて、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。

それではまた、揺らぎの狭間にある銀幕市のいずこかで皆様とお会いすることができますように。
公開日時2008-10-21(火) 17:30
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